★初めての留学体験での出来事★


私と海外のつながりは意外なところからでした。元々海外に特別思い入れがあったわけでもなく、海外で生活するなど夢想だにしなかったというのが本当のところです。18歳の時にアメリカへ留学するまで、たったの一度も海外へ出た事はありませんでした。飛行機に乗ったのは、高校2年の修学旅行の時。それまでは、まったく海外との接点のない生活でした。もともと、英語も得意でなく、そうした苦手意識もあり、自分がまさか海外へ出るなど考えたことすらありませんでした。

 

そんな私が受験の失敗からの逃げ道の一つとして選んだのがアメリカ留学でした。叔父が印刷会社を経営していた関係で、留学雑誌が回ってきた。冗談半分で、アメリカでも行くかという言葉から、まさかこの選択が自分の人生を決定付けるとは当時の私は思いもよらなかったというのが本音です。その留学の渡米が私にとって初めての海外だったのだから。

 

寒い冬の1月。雪の深々と降り積もるボストンに立ち下りた自分の前途に広がるのは、大きな希望や夢よりも、これから一体どうなるのだろうという不安ばかりでした。入国審査官の言っていることが全く分からず、とにかく用意された書類を全て取り出して目の前に広げ、身振り手振りで意志を伝えようとする私に、君は英語もしゃべる事が出来ないのに大学など行けるのか?と本気で心配されたのも今では苦い思い出です。飛行場では、石川県の片田舎で育った私にはほとんど出会うことのなかった外国人だらけでした。

 

日本の留学手配会社が酷いもので、全く手配がされておらず、結局全て自分で何もかもしなくてはならなくなった到着した夜。用意されているはずの寮に入ることも出来ず、ホテルの予約すら出来ない情けない自分に同情をして、空いている寮の一室をあてがってくれた寮長。その部屋にポツンと置いてある、バネの飛び出たベットが一台。。。窓の外には大粒の重たい雪が舞う寒い夜でした。心の中でイブモンタンの「枯葉」がぐるぐると回り、、、到着した夜からホームシックにかかるという情けない始まりでした。

 

セキュリティーの親父さんに手伝ってもらい、国際電話でとにかく無事に到着した事を伝えようとしながら、受話器を握る私の心は、今から帰るという言葉が喉から出掛かって仕方がなかった。しかし、それを止めたのは、自分の意志でここにやってきたのだという男の意地だけだったと思います。

 

食事もレストランに入って注文する事が出来ないという不安から、到着してから最初の3日間は食事を一切取れず、自動販売機のお菓子とジュースだけで過ごしました。流石に飢えてしまい、どうにでもなれと入ったバーガーキング。前のお客さんが注文する言葉をとにかく一生懸命聞いて、そのまま同じものを注文した初めてのベーコンダブルチーズバーガー。それから一週間、私は毎日同じメニューをバーガーキングで食べました。

 

流石に食べ飽きたけれど、別のものを注文する自信がなく、同じものばかりを注文していたのです。

 

そんな私が、よくも無事大学を卒業し、その後はアメリカのホテルで働き、更に父のビジネスを手伝い、美術業界では一時期有名なバイヤーとして知らない人のいないまでになり、今ではここメキシコでビジネスをしているなんて、誰が予想したでしょうか?

 

人間やれば何でも出来るものなのだとつくづく感じる次第です。

 海外で暮らすこと。ある日から私の心の中には、日本と言う国で暮らし生きることを離れ、自分が海外で暮らすことの方が向いていることに気が付くに至りました。





Copyright © 2014 ★カリブ海カンクン徒然日記★ All Rights Reserved.